侍はどうしてちょんまげにしていたの?

公開:2026-07-24 更新:2026-07-24 読了 約6分

図解

1 戦国時代 兜の蒸れ対策として頭頂部を剃る「月代」の風習が発展 2 江戸時代 月代+髷が武士・町人に定着・多様な結い方(大銀杏・小銀杏 ・茶筅髷)が生まれる 3 1871年 明治4年8月・散髪脱刀令発布・髷を結わない自由が認められ 4 1873年 明治6年・明治天皇が自ら断髪・洋装普及とともに髷を落とす 男性が増える 5 明治後期 地方や高齢層でも髷が消えていく・「ちょんまげ」は近代化に 消えた文化に 6 現代 大相撲の力士と床山(結い師)に伝統技術が受け継がれる

図解:問いを6ステップで読みとく流れ(自動生成)

戦のとき兜がむれないように、頭のてっぺんをそったのが始まりだよ。

時代げきに出てくるさむらい髪型かみがた——頭のてっぺんがつるつるで、うしろにまげっているあのかたち。あれを「ちょんまげ」といいます。なぜあんなにわったかたちにしていたのでしょう。

国立国会図書館こくりつこっかいとしょかん資料しりょうによれば、はじまりは戦国時代せんごくじだいにさかのぼるといわれています。いくさのときにかぶるかぶとはとてもおもくて、長い時間かぶっているとあたまがむれてあせがたまり、集中しゅうちゅうできなくなります。そこであたまのてっぺんのかみをそって、かぶとがぴったりあたまい、風通かぜとおしがよくなるようにしたのが始まりだとかんがえられているのです。

このそった部分ぶぶんを「月代さかやき」といいます。いくさのない江戸時代えどじだいになると、月代さかやきまげはおしゃれや身分みぶんあら大切たいせつ文化ぶんかになり、職業しょくぎょうとしによっていろいろない方が生まれました。おすもうさんの「大銀杏おおいちょう」も、その一つです。

そして明治めいじ4ねん(1871ねん)に「散髪脱刀令さんぱつだっとうれい」というまりが出て、まげを切ってもよいことになりました。300ねん以上いじょう続いたさむらい髪型かみがたは、こうして洋装ようそうの広がりとともに姿すがたしていきました。いまも大ずもうの力士りきし大銀杏おおいちょうにそのわざが受けつがれています。

「ちょんまげ」の起源は諸説あるが、戦国時代に兜(かぶと)を長時間かぶる際の蒸れ対策として頭頂部を剃った「月代(さかやき)」の風習が発展した、というのが有力とされる。国立国会図書館「本の万華鏡」第31回や同館レファレンス協同データベースの文献によれば、江戸期には月代と髷を組み合わせた髪型が武士だけでなく町人にも広く定着し、身分・年齢・職業ごとに大銀杏・小銀杏・茶筅髷など多彩なバリエーションを生んだ。

明治4年(1871年)8月9日発布の「散髪脱刀令」により、髷を結わず散髪にすることが自由化された。国立公文書館の記録によれば、この布告は近代化政策の一環で、洋装・断髪の普及とともに江戸文化を象徴する髪型は姿を消していく。ちょんまげは、日本の中世から近世を貫いた戦闘実用・身分表現・美意識が結晶した髪文化だ。

仕組みの科学

月代(さかやき)は頭頂部の髪を剃り上げる風習で、その起源については戦国時代の兜着用時の蒸れ対策とする説が広く知られている。兜は鉄や革で作られた重い防具で、長時間の着用中に頭頂部にこもる熱と汗は集中力を奪い、皮膚炎症の原因にもなる。頭頂部を剃ることで通気性を確保し、兜の内側に敷く「錣(しころ)」や布との摩擦も軽減できる。この実用起源説は国立国会図書館「本の万華鏡」第31回など複数の一次史料解説で紹介されており、戦場での合理的な工夫が平時にも継承されて髪型文化へと発展したと考えられている。

頭髪の一部を剃り、残りを束ねて結う構造には、頭皮衛生・視野確保・首後ろの重量分散といった機能的合理性がある。江戸期に多様化した髷の結い方——大銀杏・小銀杏・茶筅髷・本多髷など——には、身分・職業・年齢を可視化するシンボル機能が加わった。武士の階級や町人の職業ごとに髷の高さ・結び方・鬢(びん)の張り方が微妙に異なり、街を歩く人の外見から属性が読み取れる社会的コードとして機能していた。髪型は個人の装いを超えて、当時の共同体秩序を可視化する記号システムでもあった。

歴史と発見

国立国会図書館「本の万華鏡」第31回「成人の儀式」の章によれば、武家では元服(成人儀礼)のときに月代を剃り、髷を結うことが一人前の男子の象徴とされた。これは平安・鎌倉期の「加冠(かかん)」——冠をかぶって成人となる儀式——の系譜を引く近世的変容である。庶民の間でも江戸期には元服にあわせて月代を剃る習慣が広まり、髪型は年齢・階層・地域の識別記号として社会の隅々に浸透していった。同館レファレンス協同データベースには、江戸期の男髷の種類や結い方について詳述した児童書・専門書の紹介が複数残されており、大銀杏・小銀杏・茶筅髷・本多髷など多彩なバリエーションが記録されている。

国立公文書館ニュース第13号「あの日の公文書」でも紹介されているように、明治4年(1871年)8月9日、明治政府は「散髪脱刀令」を布告した。これは頭髪を自由に結い、刀を帯びなくてよいとする布告で、近代化と身分制廃止の象徴的政策の一つだった。ただし発布直後に一斉に切られたわけではなく、明治6年(1873年)には明治天皇自ら断髪し、洋装普及にともなって徐々に髷を落とす男性が増えていく。文明開化のシンボルとしての「ザンギリ頭」に対して、旧習の代名詞としての「ちょんまげ」は明治後期まで地方や高齢層に残った。髷を結い上げる技術は現在、大相撲の力士の髷を結う「床山(とこやま)」に受け継がれ、日本の身体文化として生き続けている。

もう一歩先

ちょんまげという言葉自体は江戸中期以降の用語で、「ちょん」は仮名の「ゝ(繰り返し記号)」の形に似た小さな髷を指す俗称からきたとされる。厳密には「丁髷(ちょんまげ)」は高齢者や貧しい男性が結った、髪の少ない小さな髷を指し、若い武士の華やかな大髷とは区別された。時代劇や現代のイラストで「武士=ちょんまげ」と一括りにする表現は、江戸期の多様な髪型文化を大きく単純化していることになる。歴史用語としての「ちょんまげ」と現代の総称的な使い方の差を意識すると、江戸文化の奥行きが見えてくる。

世界の伝統髪型と比べてみると、日本の月代+髷は独自性が際立つ。中国の弁髪(辮髪)、韓国の網巾(マンゴン)と結髷、モンゴルのブレッド(編み髪)など東アジア各地に男性の伝統髪型があるが、頭頂部を剃るという発想は日本の月代がきわめて特徴的だ。この独自性が生まれた背景には、日本列島特有の武家社会の長期化・兜文化の発達・成人儀礼の継承・美意識の記号化——という重層的な歴史条件がある。近代化とともに一度は姿を消したこの文化は、大相撲・時代劇・伝統芸能を通して現代に息づき、外国人観光客にとっての日本文化のシンボルの一つにもなっている。散髪脱刀令の布告日から150年以上が経った今、髷を結う技術は文化財として保存対象になりつつある。

🌱 ためしてみよう!3択クイズ

本文をよんでこたえてみよう。タップでせいかいがでるよ。

Q1. ちょんまげ(月代を剃った髪型)の始まりは、何のためだと考えられている?
こたえ:戦のとき兜で頭がむれないようにするため
国立国会図書館の資料などによれば、頭のてっぺんを剃る「月代」は、戦国時代に重い兜を長時間かぶるときの蒸れ対策として発展したと考えられています。戦のない江戸時代におしゃれや身分表現の文化へと発展していきました。
Q2. ちょんまげが結われなくなる大きなきっかけになった明治時代の決まりは?
こたえ:散髪脱刀令(1871年)
明治4年(1871年)8月に発布された「散髪脱刀令」で、髷を結わないことと、刀を帯びないことが自由になりました。1873年には明治天皇自身が断髪し、髷は少しずつ姿を消していきました。
Q3. 今でもちょんまげ(伝統的な髷)を結っている人がいる場所は?
こたえ:大相撲の力士
大相撲の力士は「大銀杏」や「ちょんまげ」と呼ばれる伝統的な髷を結い、「床山(とこやま)」という専門の職人がその技術を今も守り続けています。日本の身体文化として現代に生きています。

👤 大人のちょっとした雑学

「ちょんまげ」の語源は仮名の記号にあり

「ちょん」とは、繰り返し記号「ゝ」の俗称に由来するとされる。元来は高齢者や髪の少ない男性が結った小さな髷を「丁髷(ちょんまげ)」と呼び、若い武士の華やかな大髷とは区別された。現代の「武士=ちょんまげ」という総称的用法は、江戸期の多様な髪型文化を大きく単純化した近代以降の言い回しである。

月代を剃る文化は東アジアでも独特

中国の弁髪、韓国の網巾と結髷、モンゴルの編み髪など東アジア各地に男性の伝統髪型があるが、頭頂部を剃るという発想は日本の月代がきわめて特徴的。武家社会の長期化・兜文化の発達・成人儀礼の継承・美意識の記号化——という複層的な条件が生んだ、日本独自の身体文化だ。

散髪脱刀令の発布日は8月9日

国立公文書館「あの日の公文書」でも紹介されている通り、散髪脱刀令の発布は明治4年(1871年)8月9日。同年の廃藩置県(7月14日)とわずか1か月違いで、身分制の解体と近代化政策が矢継ぎ早に進んだ激動の年だった。散髪脱刀令は「必ず切れ」ではなく「切ってもよい」という許可の布告だった点が、当時の政治的配慮を物語る。

🔬 とことん深掘り:読書ガイド

読み順ガイド(やさしい→専門)

  1. 日本髪の歴史(近世髪型史入門書)
    武家・町人・僧侶それぞれの髪型の系譜を時代順に整理した通史入門。ちょんまげが江戸期文化のなかでどう位置付けられるかを、俯瞰的に把握できる。
  2. 元服の歴史(成人儀礼史の学術書)
    国立国会図書館「本の万華鏡」第31回の背景となる、日本の成人儀礼と髪型の関係を専門的に扱う。加冠から月代への移行を歴史的に追える。
  3. 散髪脱刀令と近代日本(明治維新政策史)
    国立公文書館の一次資料を用いた明治初期の身分制解体と文明開化の分析。ちょんまげが消えていく政治的・社会的プロセスを理解できる。
  4. 大相撲と床山(伝統技術継承の民俗学)
    現代まで生き続ける髷結い技術を扱う民俗学的研究。文化財としての髷を、生きた技術として捉える視点を得られる。
  5. 身体・服飾・アイデンティティ(歴史人類学)
    髪型・服装が身分や共同体アイデンティティを表現する記号として機能する現象を、比較文化史の視点で扱う理論書。江戸期の髷文化を普遍的な文化人類学の課題に接続できる。

さらに進む方向

  • 国立国会図書館デジタルコレクションで江戸期の風俗画・絵草紙に描かれた髪型を検索・比較する
  • 国立公文書館の「散髪脱刀令」原本デジタル画像を閲覧し、当時の布告文の文体と論理を読む
  • 大相撲の場所中に床山の作業を見学し、髷を結う技術を実地観察する
  • 地方博物館の江戸期民俗展示で、地域ごとの髪型の違いを実物資料で確認する
  • 近代化過程の身体変容(洋装化・断髪・化粧文化の変化)を服飾史・ジェンダー史の視点で追う

もっと詳しく:歴史と時系列

  1. 戦国時代
    兜の蒸れ対策として頭頂部を剃る「月代」の風習が発展
  2. 江戸時代
    月代+髷が武士・町人に定着・多様な結い方(大銀杏・小銀杏・茶筅髷)が生まれる
  3. 1871年
    明治4年8月・散髪脱刀令発布・髷を結わない自由が認められる
  4. 1873年
    明治6年・明治天皇が自ら断髪・洋装普及とともに髷を落とす男性が増える
  5. 明治後期
    地方や高齢層でも髷が消えていく・「ちょんまげ」は近代化に消えた文化に
  6. 現代
    大相撲の力士と床山(結い師)に伝統技術が受け継がれる

ことばのメモ

月代
頭のてっぺんを剃った部分
髪をたばねて結った部分
元服
むかしの成人になる儀式
散髪脱刀令
髷や刀を自由にした明治の決まり
床山
力士の髷を結う専門の職人

よくある質問

ちょんまげはいつからある髪型ですか?
起源は戦国時代の兜着用時の蒸れ対策として頭頂部を剃った「月代」にさかのぼるとされます。江戸時代に髷の結い方が多様化し、身分や職業を表す髪型文化として定着しました。
武士は全員ちょんまげにしていましたか?
町人にも様々な髷があり、僧侶や公家は別体系の髪型でした。「武士=全員ちょんまげ」は単純化した見方で、階層や年齢・職業ごとに髷の形は異なっていました。
ちょんまげはいつなくなりましたか?
明治4年(1871年)に散髪脱刀令が出され、髷を結わなくてよいことになりました。ただし完全に廃れるまでには数十年を要し、地方では明治後期まで残っていました。
今もちょんまげを結っている人はいますか?
大相撲の力士は「大銀杏」「ちょんまげ」と呼ばれる伝統的な髷を結い、専門の職人「床山」がその技術を守り続けています。日本の身体文化として現代に息づいています。

学びのタネ

この問いに関連する本・実験・サービスのご紹介です。

家でできること

  • 国立国会図書館の「本の万華鏡」第31回で、江戸時代の元服(成人儀礼)と髪型の関わりを読んでみよう。
  • 大相撲の中継や写真を見て、力士の「大銀杏」の結い方を観察してみよう。床山という職人が結っているよ。

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出典・参考文献

  1. 国立国会図書館本の万華鏡 第31回 成人の儀式―古代から近世まで― 第2章 武家の成人 参照 2026-07-24
  2. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース江戸時代の男の髪型(髷の種類など)について書かれた資料がみたい。 参照 2026-07-24
  3. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース江戸時代の髪型について知りたい。 参照 2026-07-24
  4. 国立公文書館あの日の公文書 国立公文書館ニュース Vol.13 参照 2026-07-24

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